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映画の歴史について、あらためて振り返ってみませんか?
世界の映画発祥のいきさつ
1894年、パリでリュミエール兄弟の父アントワーヌが、エジソンの開発したキネトスコープに出会う。それがきっかけとなり、父の勧めでリュミエール兄弟は動画の研究を開始する。
エジソンの開発したキネトスコープは覗き込みするため、一度に一人しか見れなかったため、スクリーンに投影できるようキネトスコープを改良、一度に多くの人々が鑑賞できる「シネマトグラフ・リュミエール」を開発した。
1895年、パリで、自ら撮影した映像を有料公開した。その時のエピソードとして、「汽車の到着」では、カメラに向かってくる汽車を見て観客が大騒ぎしたという。その後、兄弟は協会を作り、世界中にカメラマンを派遣し、世界各地の最初期の映像を多く残した。
リュミエール兄弟の影響で、エジソンは映画撮影のための施設を作り、劇映画製作を開始することになる。
また、リュミエール兄弟は、1907年、世界初の実用カラー写真「オートクローム」を発売した。それまでの一度に三枚の乾板を使用するものと違い、乾板一枚だけで撮影できた。(リュミエールとは、フランス語で「光」を意味するそうです。)
リュミエール兄弟(左から、兄のオーギュスト、弟のルイ)
映画の初めて
1902年 フランスで製作された映画「月世界旅行」は、世界で初めて複数のシーンを構成しており、世界で初めてのSF映画でもあります。「月世界旅行」の原作は、ジュール・ヴェルヌで、「海底二万マイル」「八十日間世界一周」などの空想冒険小説で有名です。
監督:ジョルジュ・メリエス、元々はマジシャンでもあるが、世界で最初の職業映画作家

1903年 クロスカッティングの技法を用いた、世界初の西部劇映画の「大列車強盗」が製作・公開されました。
(※クロスカッティング:異なる場面のシーンを交互に見せることで、臨場感や緊張感などを出すための撮影技法。同時に別の場所でのシーンを交互に見せることで表現する技法。)
監督:エドウィン・ポーター

1906年 実写ではなく世界初のアニメーションとして、製作されたのが「愉快な百面相」です。黒板にチョークで素早く描いた絵をコマ撮りして製作されています。
監督:ジェームス・スチュアートブラックトン
日本の映画興行発祥の地
大阪市中央区難波3丁目に1888年(明治21年)年に歌舞練場として建設された「南地演舞場」において、1897年(明治30年)に フランスのリュミエール兄弟製作による、映画(シネマトグラフ)が京都の稲畑商店の稲畑勝太郎によって上映されたそうです。
これが日本で最初の映画興行といわれ、この地が「映画興行発祥の地」と言われる所以とのことです。ちなみに上映されたのは、リュミエールから借りた 「イタリアの水泳大会」や「ニューヨーク市街」などは1本2分ほどのものだったそうです。
後にその場所には、東宝により 1938年(昭和13年)「南街映画劇場」、1953年(昭和28年)に「南街会館」が建てられたそうですが、今では2006年に「東宝南街ビル」が建てられ「TOHOシネマズ」があり、映画を楽しむことができるそうです。
日本の最初の映画
日本で映画の試写が最初におこなわれ、日本で初の劇映画が制作されたのは、京都とのことです。。
1908年(明治41)年に、牧野省三が、日本初の劇映画「本能寺合戦」を制作します。翌年には尾上松之助を主役として「碁盤忠信」を製作しました。出演者は歌舞伎俳優だったそうで、女役は女優ではなく、男性の女方俳優だったそうです。
喜楽座「本能寺合戦」・群馬県太田市立新田図書館蔵